冷静さが足りん?

名古屋大のサークルによる、鳥取砂丘の落書き。
他の落書き事件より、復旧の容易さから言ってマシではあるものの、情けないと思う。
大学生、だよね?


これが小学生なら、監督は誰じゃい、という話だけど、、、。
いや、まて。
そう言う資格が、私にあるのだろうか?
検証してみよう。

被害を考えてみる

冷静に考えれば、

  1. 落書きが消え風紋に戻るまでの時間(1日じゃ消えないよね?)
  2. もしやして、表層以外が風にさらされ、ダメージがあるかも
  3. 風紋を見に来たのに、落書きを見せられる人の心情
    1. 二度とこない、と鳥取の観光にダメージ
    2. 大枚はたいて来て、がっかり

なんてことが思いつく。
冷静ならね。


特に、心情ね。
HUCK」、関係者には勲章かもしれないけど、一般大衆には落書きだ。
風紋を汚された、としか思うまい。

落書きした心情を想像してみる

サークル名をHuckleberry Finnから取る。
子供心を忘れない、を掲げる。


一週間の徒歩旅行。
ゴールが鳥取砂丘


んー、ランナーズ・ハイ状態、ということが想定できます。
酔っ払いと同じで、多少理性のタガが外れているでしょう。
そんな中、記念に何かを残したいと思う。


「記念に、砂に大きくHUCKって書こうぜ!」
「砂なら消えないってわけじゃないし、いいんじゃねぇ?」
「よし、書こう!」


、、、
、、、
、、、
ありうる。
、、、
、、、
、、、
私は乗らないと思うけど、その場にいても止められない可能性が高そうだ。
頭の回転が維持できてれば
「掘るのはマズイ。ねっころがって、人文字でやんね?」
とか言えるけど。

こうならないためには?

悪乗りしやすい人と付き合わないこと、しかないねぇ。
しかし、酔っ払ってポストを殴る私は、多分酔っ払ってもやらないと思う。
この差はなんだろう?

  • 鳥取砂丘の風紋に敬意を払っている
  • 自然に関与してはいけない、と固く信じている

ふむ、なんとのぉ分かってきた。

八百万の神

この概念だね。
私はかつて科学教の信者だったため、万物に神が宿る、ということが受け付けられなかった。
しかし今は違う。
私はあらゆる宗教から一定の距離を置いている。
それゆえ、万物に神が宿っているかもしれない、ということが受け入れられる。
この概念、または、

敬意

かな。
自然に敬意を払う。
これをわきまえて欲しいね。
あ、神が宿る、ってのも、神に敬意を払う、だから、同じか。

結論

敬意を払う人になってください。



おまけ

HUCK」って何?
Yahoo!辞書で調べると、「〜を投げる(throw)」とか出てくる。
fuckなら、頭の悪いヤツめ、と思うし、
hackなら、、、やっぱり頭の悪いヤツめ、と思ったろう。
いずれかのtypoかしらん、と思ったけど、どうやら、サークル名らしい。
サークル名の頭文字、とのこと。


、、、、、、、、、頭文字って。
名古屋大学アドベンチャーサークル Huckleberry Finn」
略して「HUCK」でしょ。
「Huckleberry Finn」の頭文字は「H.F」じゃないの?
いつから先頭何文字かを取ることを「頭文字」って言うようになったのでしょう?
これまた、気持ちの悪い話じゃ。