狂言と吉本と小説と漫画

狂言の勉強をしていると狂言吉本新喜劇の差を考えてしまう。
どちらも単純にとらえると、喜劇。
笑いの度合いとしては、そう大差ないと思うケド、私は狂言に一票かな。

狂言の分かり難さ

吉本は現代を背景に笑いを直接的に構築する。
馴染み深く、笑い易い。
一方、狂言はその成立を背景とし笑いを作る。
はっきり言って、分かり難い。


分かり難くしているのは、

  1. 時代背景
  2. 言葉遣い
  3. そして、表現方法


時代背景と言葉遣いは現代版の新作があっても良いのではないかな?
例えば、装束にしても、当代の人には一目で冠者や主人が分かる。
でも、今の人には馴染みのある衣装ではないので、知識がなければセリフから上下関係を読むしかない。
が、そこには独特の節回しと言葉遣いがまっている。
(もちろん、所作の助けもありますけどね。)
表現方法が一番重要だと思うし、時代背景や言葉遣いにつまずいて狂言を敬遠する人がいたら、もったいないと思うんだよね〜。
18代目中村勘三郎氏が、演劇界の人(野田秀樹氏や渡辺えり子さん、宮藤官九朗氏)を巻き込んで、新作歌舞伎を演ったのは、歌舞伎のファン層を広げていると思います。
ま、ファン層の拡大には、私はあまり興味がないので、どうでも良いケドね。

狂言の表現方法

狂言の表現方法は、随分、様式化されているように思える。
節回しもそうだし、動作も。


それまでの話の流れやセリフをもとに、観る側の想像が動かなくては、充分楽しめない。
もちろん、巧みな演者になれば、想像の喚起を促すので、助けてくれますけどね。


その辺が、単純な吉本との差でしょうね。
言うなれば、狂言が小説で、吉本は漫画(直接的で想像力があまりいらない)。
漫画も好きだけど、小説の方が楽しめるかな。